夏に続き、この秋も木之本で行われているイベント、GO!GO! 賤ヶ岳!七本槍スタンプラリー。
木之本周辺の対象店舗(24店舗)でお買い物をすると、1店舗につき1個スタンプがもらえます。
そのスタンプの数に応じて限定グッズがもらえるという人気のイベントが現在行われています。
限定グッズのキャラクターは「七本槍」。
地元の人や歴史好きなら知っている言葉ですが、一体、七本槍とは?
そもそも、この木之本で起こった歴史的最大のイベントといえば、やはり「賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦」でしょう。
織田信長が本能寺の変で没し、その後継者として羽柴秀吉と柴田勝家が争ったのが、木之本町、そして余呉町にまたがる賤ヶ岳という小高い山の一帯です。
結果、羽柴軍が勝利し、秀吉が天下取りへと歩みを進めていくことになるのですが、この戦いに貢献したのが、秀吉の家臣達。
特に若い七人の武将の活躍によって勝利を収めたということで、彼らを総称して七本槍と呼んでいるのです。
諸説あるものの、以下の七武将の名が、「賤ヶ岳の七本槍」として広く定着しています。
加藤清正(かとうきよまさ)
言わずもがな超有名武将ですね。最終的には熊本藩主にまで上り詰めています。清正は6月24日生まれ、亡くなった日も同じ6月24日という珍しいエピソードを持っています。
福島正則(ふくしままさのり)
豊臣家最強の武将とも呼ばれ、秀吉とは従兄弟の濃い血縁関係にあったようです。家族のような絆で結ばれた秀吉にとって安心でき、信頼のおける家臣でした。
加藤嘉明(かとうよしあき)
清正や正則ほど華やかではないですが、伊予松山藩主、陸奥会津藩藩主を地味に務めた実力派。船奉行としての実力も素晴らしく、文禄の役では水軍副将格として淡路水軍を率いました。
平野長泰(ひらのながやす)
悲しいかな、七本槍の中で唯一、大名になれなかったことで知られます。元々性格が猛々しく、命令に背くこともあったので、秀吉に疎まれたともいわれます。
脇坂安治(わきざかやすはる)
近江国浅井郡脇坂郷(現、長浜市湖北町)出身。賤ヶ岳の合戦時は七本槍のメンバーとしては最年長の30歳だったが、負けじと得意の槍を振るい数多くの功績を上げました。
糟屋武則(かすやたけのり)
賤ヶ岳合戦で福島正則・加藤清正・脇坂安治に次ぐ4番手の手柄を立て、一万3千石の大名として遇された。しかしながら関ヶ原の合戦では七本槍唯一西軍につき、敗軍の一人となったため、その後の事績などはほとんど後生に伝わることはありませんでした。
片桐且元(かたぎりかつもと)
近江国浅井郡須賀谷(現、長浜市須賀谷町)出身。豊臣秀吉の没後は、「豊臣秀頼」の後見だったことでも有名で、弱体化した豊臣家と徳川家の仲介をうまく果たす役割として尽力しました。
この七武将がデザインされた限定グッズをもらえるスタンプラリーは、11月26日まで開催しています。
ぜひスタンプを集めて七本槍グッズをもらっちゃおう!