みなさんは「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」をご存じでしょうか?
歴史の教科書には必ず出てくる日本の行方を左右した戦いの一つですね。
織田信長が本能寺の変で倒れ、その後継者を決める上で名乗りを挙げた二人の武将、羽柴秀吉と柴田勝家が争ったのが賤ヶ岳の戦いです。
滋賀県長浜市の木之本町と余呉町を中心に、余呉湖の北側で睨み合いになったこの戦い、木之本町の中心、地蔵院には秀吉の本陣が置かれたと言われています。
そして、その弟に当たる羽柴秀長が木之本町の裏手に聳える「田上山(たがみやま)標高323m」に1万5千の兵を従え陣を構えます。
そして、実際に戦いが始まるとこの田上山が実質的本陣となり、さまざまな指令がこの山から発令されました。
いまでは、「田上山砦」と呼ばれ、土塁や堀の痕跡から、その規模は南北500m、東西250mに及ぶことがわかっています。また、虎口や竪堀と呼ばれる城を築く際の高度な技術が残っており、秀吉軍の築城技術の高さも垣間見えます。
そして、木之本には、この田上山の景観を守る「田上山砦の会」があり、有志の皆さんによって定期的に整備されています。
今回は、皆さんに同行し、お手伝い(?)をさせていただきましたが、その手入れの丁寧さにはとても驚かされました。
田上山へいざ出陣!
木之本の意冨布良神社(おほふらじんじゃ)の境内に登山道の入り口がありますが、今回はチェーンソーや刈払い機などがあるので、山の中腹まで軽トラで登ります。
出発してすぐ、急勾配の山道、凸凹がひどく、まさにアドベンチャー!
しかし、さすが軽トラ、ものともせず登っていきます。
3-4台止められるスペースに車を停め、そこからは道具を担いで山を登ります。
だいぶ涼しくなってきたとはいえ、まだ朝から蒸し暑く、じわっと汗が湧いてきます。
登り始めて15分ほどで、かつて神社のお宮が立っていたとされる上宮跡を通過、そこから10分ほどで田上山砦の入り口「南堀切」に到着しました。
しばらく行くと、倒木を発見!
さすが皆さん、手際よくチェーンソーでカットし、登山道を確保します。
今年は雨が少なく、気温が高かったということもあり、あまり下草が伸びていないとのこと。
ほとんど手入れは必要のないくらい見通しがよく、きれいな状態が保たれていました。
田上山砦は中心的役割を担った主郭を中心に、南郭、西郭、北郭など、全部で9郭で構成されています。
その一つ一つを確認し、倒木がある場合は、チェーンソー部隊へ指示を出します。
皆さんがそれぞれ整備を行なっている間、田上山砦を探検します。
頂上付近は広葉樹も多く、木陰ながら明るいため、とても居心地の良い雰囲気が漂っている場所でした。
もちろん、砦の会の皆さんが、丁寧に手入れをしてくれているおかげで、この素敵な雰囲気が保たれています。
朝、木ノ本駅から歩き始め、地蔵院や北国街道を巡りながら、意冨布良神社からハイキングで登ると、ちょうどランチ休憩をするのにぴったりな場所なのかなと思います。
もちろん羽柴秀長をはじめとする重鎮がかつて陣を構えていたことを想像するだけで、歴史好きな方でなくても、きっとワクワクしてくることでしょう。
そして、ぜひ頂上に設置されている山城の図面を参考に城郭を巡ってみてください。
何気ない土の山が実は土塁だったり、ちょっとした窪地が人の手で掘られた堀の跡だったり、わかってくると結構面白いです。
田上山砦、この歴史的にも重要な城郭は、有志の皆さんの活動によりきれいな状態で残されています。
それは、一人でも多くの方に歴史の舞台を肌で感じてもらいたいという思いから、この活動が続いているとおっしゃっていました。
これから気候が良くなってきますので、ぜひ田上山の歴史ハイキングを楽しんでみてはいかがでしょうか。
🥾ハイキングメモ🥾
意冨布良神社から城郭入口「南堀切」まで距離約1km、標高差160mほどですが、一部急な登りもあり、雨が降った後はかなり滑りやすい山道になります。
軽登山になりますので、足元はしっかりとした靴で楽しんでください。
また、木之本のすぐ裏手の山とはいえ、サルやイノシシ、シカ、クマなどの野生動物が生活しています。
特にこれから晩秋にかけて木の実など動物たちにとって餌が豊富になる時期ですので、周囲に気を配り、見かけた時は決して近づかず、距離を取りながら速やかに離れてください。
早朝や夕方も動物たちの活動する時間帯ですので、注意が必要です。